
映画 · 1977
アメリカの友人
The American Friend
トリビア29件
アメリカの友人の舞台裏トリビア29選
撮影当時、ニコラス・レイは肺がんと診断されたばかりで、その2年後にこの世を去った。
DVDのコメンタリーによると、デニス・ホッパーとブルーノ・ガンツは最初は反りが合わず、撮影現場で殴り合いの喧嘩をした。一晩飲み明かした後、二人はわだかまりを解いて現場に戻った。
『イージー・ライダー』(1969)の監督兼主演であるデニス・ホッパーは、自分の邸宅から川を眺めながら「バラッド・オブ・イージー・ライダー」の一節を口にする。
ヴィム・ヴェンダース監督は原作小説のタイトル「リプリーのゲーム」をあまり好んでおらず、撮影は「フレイムド」という仮題で行われた。他に「例外なきルール」というタイトルも検討されたが、最終的にリプリーとジョナサンの関係性から「アメリカの友人」に落ち着いた。
スティーブン・シュナイダー編集の「死ぬ前に観るべき1001本の映画」に選出されている。
ジョナサンが映画を通して繰り返し口ずさむメロディは、ザ・キンクスの1966年のアルバム『フェイス・トゥ・フェイス』に収録された「トゥー・マッチ・オン・マイ・マインド」のものだ。このLPのジャケットは、工房のシーンの一つでジョナサンの机の上に見ることができる。
監督のコメンタリーによると、デニス・ホッパーはメルセデスの救急車がたいそう気に入り、撮影後にそれを買い取った。10年後、ヴィム・ヴェンダースがニューメキシコのホッパーを訪ねたときも、ホッパーはその車を持っていたという。作中でリプリーが火を放つ救急車は、実車を模した安価なレプリカだった。
ジョナサン・ジマーマンの息子が工房にいるとき、彼はマルタ十字の大きな木製模型で遊んでいる。これは映画のコマ送りを可能にする映写機の必須部品だ。
主要人物の何人かは名前と国籍が原作小説と異なる。英国人ジョナサン・トレヴァニーはドイツ人ジョナサン・ジマーマンになり、ジョナサンの妻シモーヌはマリアンヌになり、アメリカ人犯罪者リーヴス・マイノットはフランス人ラウル・マイノットになる。
ジョナサンの額縁店は、実は帽子屋の店だった。その店の持ち主は、列車の中で犬を連れた紳士としてカメオ出演している。
ジョナサン・ジマーマンの息子は、バスター・キートンの同名映画『キートン将軍』(1926)に登場する「将軍」と呼ばれる機関車の絵が描かれたベッドランプを持っている。
ヴィム・ヴェンダースがデニス・ホッパーを迎えに空港に着いたとき、ホッパーは長髪で無精髭を生やし、軍の作業服を着て、ジャングルでできた sores を負っていた。ホッパーは『地獄の黙示録』(1979)のフィリピンロケ地から直行してきたのだった。
ヴィム・ヴェンダースは当初、リプリー役にジョン・カサヴェテスを考えていた。カサヴェテスは出演を断ったが、代わりにデニス・ホッパーを推薦した。
ラストでリプリーはボブ・ディランの曲「哀れな移民」の一節を引用する。この曲の歌詞は作中の登場人物たちと重なる部分がある(「無駄に力を費やした哀れな移民を僕は哀れむ」「家にいればよかったと願う哀れな移民を僕は哀れむ。その力のすべてを悪事に使いながら、最後にはいつもひとりきり。指先で人を欺き、息をするたびに嘘をつくあの男」)。
ヴィム・ヴェンダースと撮影監督のロビー・ミュラーは、ミュラーの特徴的な照明をフィルム現像所がしきりに色補正しようとするため、現像所と絶えず争わなければならなかった。
本作の脚本は毎日書き直されていた。デニス・ホッパーは自分のセリフの多くをアドリブで演じた。テープレコーダーに向かって話す場面でリプリーが「恐れるべきものは恐怖そのものだけだ」と言うのもホッパーのアドリブで、この場面の撮影日が1941年の日本による真珠湾攻撃のあった12月7日だったためだ。
デニス・ホッパーを配役した後、ヴィム・ヴェンダースは犯罪者役に有名監督たちを起用することにした。ニコラス・レイ、サミュエル・フラー、ジェラール・ブランらが含まれている。
リプリーがひとりで暮らしていることを示すため、彼の家政婦が登場する場面はカットされた。
ブルーノ・ガンツは駅で本物の銃を持っていた。笑い話のようなことに、映画製作者たちは偽物の銃を買う余裕がなかったのだ。
ヴィム・ヴェンダースは、ほとんどの映画では音声の大半がスタジオで再録音されるのに対し、この作品では音声の99.5%をロケ地で録音したと語っている。
原作者パトリシア・ハイスミスは、リプリーの人物像が自分の意図と違っていたため、当初ヴィム・ヴェンダースの映画を快く思っていなかった。彼女がヴェンダースはリプリーの本質を捉えていると認めたのは、一般上映でこの映画を観た後のことだった。
この映画の舞台の多くはハンブルクだが、ここは第二次世界大戦でベルリンに次いで2番目に多く爆撃されたドイツの都市だった。撮影時、終戦から22年が経っており、戦前と戦後の建物の違いははっきりと見て取れるほか、空き地のままの区画も少なくなかった。
ヴィム・ヴェンダースは、エドワード・ホッパーの絵画から視覚的な着想を得た。
ブルーノ・ガンツは、額縁店の店員という役柄に備え、数週間にわたって実際の額縁店で働いた。
ヴィム・ヴェンダースは当初、カメラを動かさない固定撮影でこの映画を撮るつもりだった。しかし考えを変え、撮影最初の2日分をカメラの動きを増やして撮り直した。
本作はアンリ・ラングロワに捧げられており(監督クレジットの下に「Henri Langlois gewidmet」と記されている)、列車内で読まれているリベラシオン紙の1面には、ラングロワの大きな写真付きの死亡記事が載っている。
この映画の出演者には7人の映画監督が名を連ねており、いずれも(意図的に)犯罪者役を演じている。
ヴィム・ヴェンダース監督は当初、パトリシア・ハイスミスの小説で最も好きな『梟の叫び』を映画化しようとしたが、映画化権はすでに売れていた。次に好きなハイスミス作品『偽りの震え』の権利取得も試みたが、こちらもすでに売れていた。自分がいずれかの小説を映画化したいと考えていると知ったハイスミスは、未発表の『リプリーのゲーム』の原稿をヴェンダースに提供した。
パトリシア・ハイスミスの小説『リプリーのゲーム』を主な原作としているが、クレジットなしで『リプリー 暴かれた贋作』(後にRipley Under Ground(2005)として映画化)の要素も取り入れており、具体的にはリプリーが美術品の贋作事件に関わる設定とダーウォットという人物だ。映画では、ダーウォットは自分の死を偽装したらしく、自作の絵を「偽造」し、それをリプリーが売っている。『リプリー 暴かれた贋作』ではダーウォットは物語が始まる前に死亡しており、リプリーと共犯者たちが彼がまだ生きていると世間に思い込ませる一方、ダーウォットの崇拝者が彼の名で新作を偽造している。